こんにちは細かいことを深く考えることから
「変わり者」とよく言われる
考察系ブロガーの砂子田(スナコダ)氏です。
今回は
「私たちは文明の進化についていけているのか?」
と疑問を持った事象から、日常のヒューマンエラーではないか?と結論づけたことについて記事を書きたいと思います。
このサイトは、細かいことが気になり深く考えることでよく「変わり者」と言われるわたくし砂子田氏が、体験したことや気になったこと、気づいたことなどを考察して記事にして書き連ねているサイトです。
個人的な見解が入った内容ですのでモヤモヤすることもあるかもしれませんが、ぜひ最後までお読みいただけるとありがたいです。
ではいってみましょう。
高速道路のWCで遭遇したまさかの…
私は以前、5〜6年間ほど長距離ドライバーをしていたことがあります。
長距離運転で荷物を運んでいたある日高速道路を運転していて、もよおしてきた私はパーキングエリアのトイレに行くことにしました。
日頃は和式で用をたす趣向なのですがその時はたまたま、他は全て使用中で様式が一つしか空いていなかったので仕方なく洋式の方を使うことに。
一つだけでも空いていて良かったと安堵しながら何気なく扉を開けてビックリ…
いつもと違う様子にとまどい時間が止まった気がしました。
なぜならそこには用を足したまま流さずに放置されている様子が…
一瞬ほかのトイレに入ろうかと見回しましたが状況は変わらず満席状態。
「なるほど。だからここだけ空いていたってコトね」
と気づいたところでどうにもなりませんから仕方なく使うことに。
「しかし私のまえに使用した方はなぜ流さなかったのだろう?」
と気になりながらも他人のソレを流して入念に除菌して使用しました。
そしてこのような事例に遭遇するのが一度や二度ではなく、結構な頻度だったので
「なぜそういうことが起こるのか?」が気になり当然のように「考える」に至ったわけです。
用をたしながらもやはり気になりますから想像してみます。
「トイレを使った後に流さなかった彼はどんな人なのだろう…」
「電話が来て取らないといけなかったからトイレを流す音がするのが嫌でそのまま出てしまったのか?」
「もしや日頃から流す習慣がない人だったりしないか?」
などと考えていてふと友人に教えてもらった最新式の家電のことを思い出しました。
友人が教えてくれた最新式のモノ
それはいつか友人が
「最近の家電ってすごいよ」
と見せてくれた最新のトイレ。
近づくと自動で感知してフタが開き、使用後に便座から立つと自動で流してフタも閉目てくれる便利なモノです。
友人宅のトイレを思い出したその時にピンと来た私の考えは
「トイレを流さずに出た彼の自宅にも最新のトイレがあるのかもしれないな」
というもの。
トイレを使用して後を流さないという行動は、
「その時に急いでいたからたまたま流すのを忘れてしまった」
といった類のものでしょうか?
「用をたしていたら電話が鳴り話しに気を取られて流すのを忘れてしまった?」
おそらくそうではないですよね。
日頃から流す習慣のない方のごく自然な行動だと考えるとすんなり腑に落ちませんか?
確認のしようもないどうでもいいことなのですが、細かいことが気になるのが私の悪いクセ…
考えずにはいられません。
「トイレを使用してその後を流さない」
という行動原則と心理が理解できないと落ち着かない私はどうにか納得のいく理由を探して思考をめぐらせました。
そして
「最新のトイレが生んだ弊害なのでは?」
と仮定することにしました。
相手を確定できないので確認もできませんからあくまでも仮定の話ですが、この仮定をもとに考えるとつじつまが合う気がします。
トイレを流さなかった彼にとっては
「自宅で用をたしトイレを立つと自動でトイレが流してくれるから、ズボンを上げベルトをしめて扉を開けて出ていく」
という当然の行動をしているわけですよね。
何の後ろめたいことなど一つもないいつも自宅でしている自然な行動の流れ。
トイレを使用し用が済んだから出ただけ。
一つ非があるとすれば、そこは自宅ではなく公共の施設なので最新のトイレが設置してない可能性は考えなかったのか?という点ですがそこは触れずにいきましょう。
もちろん外国人が使用した後だったかもしれないという可能性もあります。
しかし日本に旅行で来られるほどの資金力がある外国人であれば生活水準もそれなりに高く日本の風習に合わせられるでしょうし
日本に就労している外国人にはそれ相応の学識と教育ができている方が多い印象がありますからこの件からは除外して考えることにします。
もっと想像すると生活水準が高い外国人であれば自宅で自動で流してくれる最新式のトイレを使用している外国人の可能性もありますしね。
可能性でいえば大人ではなく子供が使用した後だったという仮説も成り立ちますが、大人と一緒ではない子供さんであったとしても親御さんの教育はされていると思いたいので省かせていただきます。
話がそれてしまいましたが本題に戻ります。
では最新のトイレによる弊害だったとして、どのような心理原則がはたらいて流さないこうどうに至ったのかを考えてみます。
なにが原因で起きた結果なのかを考える
「トイレを使ったら流して出る」
「汚したら次の人が不快にならない程度清掃してからトイレを出る」
というのは日本であれば幼少期から義務教育の中で学ぶことで、当たり前のことだと思いますがなぜトイレを流さずに出てしまうということがおこるのか?
という疑問に対し先ほどの「最新のトイレによる弊害ではないか?」という考えと照らし合わせて考えてみると。
「生活家電が便利になりすぎて、本来は自分で確認したり行動する場面を日ごろから家電が自動でやってくれているから、その確認や行動そのものが本人の意識から欠落してしまっている」
のが原因ではないでしょうか?
もちろん生活家電が便利になっていくことは人類にとって素晴らしいことだと思っていますし、日々努力してくださっている方々には感謝の意と尊敬の念しかありません。
ありがたいことだと本当に感謝していますから、家電が進歩することを問題視しているわけではありません。
ただ、
「家電が進歩していろんなことを自動でやってくれるおかげで手間が省け効率良くなるにつれて人は退化しているのではないか?」
もしくは
「家電が進歩することで生活は便利になっていっているが人間は進化していないのではないか?」
という疑念が浮かんでしまうわけです。
ご存知の通り「ヒトの習慣」というのは日常の積み重ねでできています。
・日常的に自動ドアがある生活に慣れすぎてしまって取っ手のついたガラスドアの前で数秒待ってしまう。
・車の施錠を解除せずにドアを開けようとして開かない。
・感知して作動するタイプのエスカレーターの電源が入っていないのに気づかず立ち止まってしまっている。
・動かないエスカレーターを歩いて降りるとなにか残念で恥ずかしい気持ちになる。
自分でもこういう行動をした時に思わず笑ってしまいました。
「果たしてこれは進化なのか?退化なのか?」
という疑問に気づかされた瞬間でもあります。
センサーや家電の技術が進めば進むほど人間は愚かになってしまっている。そんな気がしてなりません。
時代と共に変化してきた生活習慣
私は40代後半です。
若い頃は友人宅の電話番号や学校、隣の家の電話番号など20件ほどは覚えているものでした。
多い人では50件近く覚えている友人もいたほどですが、携帯電話の登場で電話番号を覚える必要がなくなりました。
これは現在30代より若い世代にはわからないことだとは思いますが、現代では携帯電話が覚えてくれるから覚えなくていいんです。
当時は自分の身を守るために必要だったから覚える必要があったというだけです。
昔はこうだったということを言いたいわけではなく、家電や技術の進歩で生活は便利になり進化していきますがその裏で使う人間の能力は退化していっている面があるように思えます。
なぜなら、当時覚えていた電話番号の一つも思い出すことができなくなってしまっている私が今ここにいるからです。
それは時代に合わせた生活の仕方に順応しているという考え方もありますが
「機械が自動でやってくれる」
という認識から何でも機械任せにしてしまっていることで、今までにはなかった想像もしないようなミスが生まれている現状もあるのではないでしょうか。
・自動ドアに慣れてしまっているから両手に荷物を持ったまま、取っ手付きのガラスドアの前までいった時にドアを開けられないことに気づく。
・雨の中車の施錠は自動で解除されると思い急いで車まで行ったが、違う車種だったのでびしょ濡れになりながらバッグから鍵を探さないといけなくなった。
まるでコントみたいな話しですよね。
機器が進化したおかげで生活は進歩していますが使う側の人間は進歩していないから、しょうもないミスをおかす。
そしてそのミスに気づかない。
電気機器は進歩しますが人間の進歩が追いついていない現状を感じて、退化しているように感じるのかもしれませんね。
故障はするがミスしない機械とミスする人間
建設業や製造業などビジネスにおけるオペレーションを考えるときによく言われる
「機械は故障するがミスはしない。人間はさまざまな要因でミスをする」
という言葉があります。
俗にいうヒューマンエラーを表現するときに使われる言いまわしですね。
(※ヒューマン=人間的であるさま、人間の性質 エラー=失策、失敗、過失、間違い、勘違い)
ヒューマンエラーを簡単に言うと「人間が原因となって起こる事故やミス」のことです。
そしてヒューマンエラーは日常の至るところで起こっています。
・家の鍵をかけたつもりで出かけた。
・日曜に友人と会う時間を伝えたつもりでいた。
・あれ?携帯がない…
などもヒューマンエラーと言えます。
「完璧な人間などいないんだから気にしないで良い」
「しょうもないエラーをするなんて可愛い生き物じゃないか」
という懐の大きい見かたも否定はしませんが、他人に迷惑がかからない程度の日常的なミスなら可愛いと笑って見ていられますよね。
しかしミスやエラーに気づかず常態化してしまっているとしたら仕事や、日常生活の場面で取り返しのつかないことになりかねないと不安にならないでしょうか。
細かいことが気になる私は「自分にもそんな一面があるだろうが、他人に迷惑をかけていないだろうか」と不安になったりします。
では次の項で、
「トイレを流さずに出た彼はどんなことに注意しなければならなかったのか?」
ヒューマンラーを防ぐために何をすれば良いかを整理してみたいと思います。
どうすれば防げたのか?
それは次の3つではないでしょうか。
「自宅ではない公共の場所であるという認識をもつこと」
「自宅では当たり前のことでも自宅を出たら通用しないという認識をもつこと」
「公共のものは多数の人が使うものだから次に使う人に対して問題がないか確認してから出る」
ですよね。
主に認識違い(勘違い)と確認不足。
これが曖昧な生きものである人間が起こすヒューマンエラーの原因です。
私たち人間は「曖昧な生きもの」であり「思い込み」「勘違い」を起こしやすい。
そのことをしっかり認識しておいて、十分に確認をすることが大事ですよね。
そしてこういった事象を体験したわたしも
「他山の石」
「他人の振り見て我が振り直せ」
という言葉にもあるとおり他人の行動をみて自分の行動に気を付けないといけませんね。
自分中心的な思い込みをしていないか?確認は充分か?など日常的に注意しつつ、文明の利器は最大限に使いながら身近な他人にも極力迷惑をかけないよう配慮しながら充実した毎日を過ごしていきたいものです。
最後に
自分の日常、他人の言動や起こった事象について「それはなぜ起こったのか?」と疑問が起きた時などに自分なりの考えを記事にしています。
賛否両論あると思いますが何か考えるきっかけになれば嬉しいです。
最後になりましたが
「自宅の以外のトイレでは使用後にちゃんと流したか?次の人が気持ちよく使える状態であるか?」
しっかり確認するよう気をつけましょうね。
次使う誰かに極力迷惑をかけないために。
ではまた次回の記事でお会いしましょう。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
コメント